アメリカ珍旅行記

  旅程 ナッシュビル2泊(ケリー氏)、ロス3泊(メルバーグマン氏、ジュディ氏

1.出国

2025年9月14日、いよいよノーキー自叙伝下巻及びヒッチハイカー2の制作に向けアメリカへ旅立つ日が来ました。

羽田ターミナル3からシカゴ行きのJALとAAの共同運行便に乗りシカゴ経由でナッシュビルに向かいました。

このJALとAAの共同運行便というのが曲者で後に事件がおきます。
ターミナル3は新しくできたターミナルで全てが自動化されており、慣れないとなかなかチェックインすることができませんでした。
自動発行される荷受け証や航空チケットを取り忘れるメンバーもいて心配しましたが、何とか4人チェックインできました。
今回のメンバーは、根上司氏、喜山徳寿氏、矢島文絵氏及び戸田健治氏の4人です。

喜山氏は海外旅行が初めての経験でとても楽しみにしておりました。
シカゴまではおよそ13時間の長いフライトでしたが、映画もさしていいものがなくさすがに眠るのにも飽きてしまいました。
機内食はチキンまたはビーフの夜食が1回パンの朝食が1回出ました。ビールはアサヒスーパードライ、赤ワインが自由に飲めました。
シカゴで3時間のトランジットがありナッシュビルへ向かうAA国内線に乗り換えました。
シカゴ空港はとても広くモノレールで国内線のゲートまでの移動でした。

<ナッシュビル>

シカゴから1時間半でナッシュビル空港に着きすぐにレンタカーハーツに行きました。

あらかじめ日本で予約していた車、これはフォードのEXPEDITION SUVと言う車でとても大きい感じがしました。

10年前にも来てうる覚えでしたが、何とかレンタカーに乗ることができ、皆でああでもないこうでもないとナビをしながらすぐにケリー氏の自宅に向かいました。

自宅は増築され、4ベッドルームがつく大きな邸宅になっていました。私たち4人が楽に泊まれる部屋があり、トイレ、シャワールームも3つも4つ備えてあり、とても快適に二日間泊まらせていただきました。

奥にはKerryさんの練習部屋もあり、そこには立派な器材がセットされていました。奥さんのキャサリン氏も元気で食事などいろいろお世話していただきました。


  
この日はすぐにダウンタウンに行き、ライブハウスに行ったり食事をしたり過ごしました。ブロードウェイの両側にはライブハウスが軒並み建っていて町中ドラムの音が鳴り響いていました。日本にもこういう町があったらいいなあと思う次第でした。BurgerUpで食べたハンバーグはとてもアメリカらしいおいしさがありました。NashvillePalaceイブハウスではベッキーさんと言うベースを弾きながら歌うボーカリストが人懐っこく私たちのとこに来たのでカンパいたしました。矢島氏が記念のツーショット撮らせてもらいました。アメリカのピザにしてもパスタにしても量が多くて、とても食べきれず、テイクアウトしました。

       


ナッシュビル空港からKerryさんの自宅までは喜山氏が運転し、ナッシュビルではKerryさんが運転をして案内してくれました。喜山さんはロサンゼルスではロングドライブを1人で運転をしてくれとても助かりました。

Kerryさんは翌々日からロンドンへのツアーに出かける予定なので、今日明日だけ一緒に行動することになりました。

翌日はKerryさんに案内をしていただき、ギター工房(JOE GLASERは有名でエルカミーノにも来たことがあります)を見たりグランド・オール・オプリ(アメリカ最古のカントリーミュージック公開ライブ放送した劇場)に行ったりしました。Kerry氏はそこのチーフギタリストだったんですが、今ではだいぶ偉い人になったと言うふうに聞いてます。中に入っても顔パスでバックステージなどを案内してくれました。ちょうど100周年のイベントの真最中で記念ドリンクなど珍しいものをいただきました。

 

  
カントリーミュージック博物館では、昔のミュージシャンの写真、衣装、アメ車などが展示されていてました。初期のモズライトギターも展示されてましたが、ベンチャーズは見当たりませんでした。

ケリー宅で二日間ゆったり泊めていただき、我々もゆっくり休みました。次の日は朝ケリー氏と別れて、レンタカーもすんなり返却することができ我々はロスに向かいました。

ロス Melody Ranch

ナッシュビルから3時間でロス国内線ターミナルに着きました。

まずレンタカーのダラーに行き、今度はミニバンのシエンタを借りました。日本のノアに似てとても運転しやすかったです。

サンタクラリタにあるハンプトンホテルに着いたのは23時過ぎだったので、どこにも食べに行くことができず、適当に近くで買った乾物やスナックなどを食べて過ごしました。ジュディ氏とはここで待ち合わせだったのだが、ホテルには着いてないので、どうしたものかと思って調べたら、今日は具合が悪くて来れないと言うことでしたので、その晩は部屋で無事着いたことを乾杯して寝ました。

早朝メルバーグ氏の家に行くことになり、朝食もそこそこに(割と満足)朝6時半に出ました。約1時間ちょっとのドライブでしたが、何とか到着することができ、彼のギター工房見せていただき、またウィンチェスターや日本銃剣などいろんな貴重な持ち物を見してもらえました。2時間位の滞在でしたが自慢のスポーツカー(5700cc)に乗せてもらったり楽しくギターの話をすることができたので良い再会でした。彼は以前HHギターを作ったこともあり、これから次のHH-2を作ることにもおそらく関わってくると思います。

 
次にメルテイラー(ベンチャーズのドラマー)のお墓が近くにあるとのことで、墓地まで行きました。とても広い墓地で探すのに大変でやっとのことで見つけました。墓地は日本のような墓地ではなくて、墓石が土に埋まってるようなもので、周りの芝で外からはなかなか発見しづらい。中でもひときわ大きい墓石がメルテイラーの墓地でした。喜山さんがお墓でドラムでワイプアウトを叩きメルテイラーに聞いてもらいました。墓誌の下にはなんと次に入る方の準備がされていました。ここではお花や供えなどする風習はなく、入り口でいただいた白い石を備えると言うのが風習だそうです。参拝が終わったらそれも持ち帰るのがこちらの流儀でした。

        



そこを後にして、1時間くらいのドライブでジュディ氏お勧めのメロディランチに向かいました。サンダリングタンク331のCDジャケットにある戦車やノーキーの写真などが展示されていました。ここでは映画の広大なロケ地として今でも撮影の場所として利用されているとのことです。ここの館長のダニエル氏がノーキーファンでギター製作などいろいろサポートしてくれるとのことでした。

館長のダニエル氏とメル・バーグマン氏と根上氏で将来のギター製作のことで協力関係が期待できそうで目的の一つに希望が湧いてきました。記念にキャップなどをいただき、次の旅に向かいました。

 

     

アリゾナ州のHavasu

次は急遽ホテルに来れなくなったノーキーの奥さんのジュディ・エドワーズ氏の自宅まで長距離ドライブをすることになりました。昼頃出ましたが、アリゾナ州のHavasuと言う湖の近くまで500キロ位の長い長いドライブで到着したのは夜の7時頃でした。この地域、夏には60度にもなるとても暑い気候だそうです。

プール付きの一軒家で妹さんとそのルームメイトと3人で住んでいるようでした。家の中はまだノーキー氏の遺品の数々や事務書類が所狭しと山積みされてました。ガレージにはノーキー氏が愛用していた車など3台があり、ノーキー氏愛用のROLEXや加山雄三氏が1997年の誕生日に描いたノーキー自画像を拝見しました。ジュディ・エドワーズ氏から”NEASに展示するように”託とされて大切に持ち帰りました。2時間くらいの逗留でしたが、自叙伝2の下書きを書いていたラリー氏が亡くなってしまい原本が手に入らないことが判明しましたが、ジュディ・エドワーズ氏が代筆することになり、今回のツアーの一つの目的がほぼ達成できたのは大きな成果でした。お土産にノーキー氏が着用していた衣類をたくさん頂戴して、喜山ドライバーのよるロングドライブでホテルに帰還したのは夜中の2時ころでした。


Yosemite

翌日はアメリカ最後の日でしたが寝坊をしてしまい、9時にヨセミテ観光に向けて出発しました。500キロ余りのロングドライブでしたが、気丈な喜山ドライバーと優秀なナビゲーター陣が揃っているので心強く出かけました。途中Bakersfieldにも寄りたかったのですが、帰りに寄れればという期待で通過しました。BakersfieldはMosriteギターの生みの親であるセミモズレー氏がリッケンバッカー社で習得した技術をもってギター工房を作った町です。Semi Moseley氏 と資金提供者Raymond Boatright氏の名前をあわせMosriteというブランド作り、後に多くの日本ファンが愛用するギターとなった原点の地です。

ヨセミテへの長い道中の途中でラジオを聞きながら(Hotel CaliforniaやCCRのMidnight Special)、よく目にしたのが果物畑で、オレンジ、レモン、キュウイ、ブドウなどが理路整然と広大なエリアに跨って植林されていました。大規模な機械化が進み、下草を刈ったり、作物を取り入れたり集約農業が発達しています。日本と違い大量生産が可能となっているわけですが、果物を手摘みしたりするのは、黒人やメキシコ人などの低賃金の労働階級の人たちです。ナッシュビルでも別荘地など広大な敷地にはきれいに刈った芝生が隙間なく緑色を呈し景観を作っていますが、やはりメキシコ人がこういう作業をしていると聞きました。日本はいいものを改良するのが得意な職人が多いと思いますので、大量生産はアメリカのような国に任せ、種を売り出来高払いのライセンス契約をビジネスにしたら日本の国ももっと豊かになるのではないかと考えさせられました。その昔日本の移住者がアメリカの農作物を今のように改良してきたというのを米国在住の友人から聞きました。

さて一度は行ってみたかったヨセミテ国立公園の入り口で35ドル支払い50キロ近い長いくねくねした山道を1時間近く走りました。やっとトンネルを抜けた所のView Pointに着き素晴らしい景観を眺めながら休憩です。そこからはしばらく走ると一方通行の道に入り、断崖絶壁の山を間近に見れるポイントを走りました。ちょうど山の頂上から滝が流れてくるのを目にしたときは壮観でした。キャンプ村を横目に走りCurry Villageを左に行くとYosemite Villageに行き着くよ予定ですが、なかなか辿り着けません。何度もCurry Villageの看板を見ながら一方通行をぐるぐる回り、やっとの思いでYosemite Villageのガイドセンターにたどり着いたころ辺りは薄暗くなってきました。イーグルスのHotel Californiaを髣髴させるように二度と出られない(You can never leave!)のではないかと思ってしまいました。わずかな時間しか逗留できませんでしたが、ここは何泊も泊まって登山する場所だということがわかりました。たしかに入り口のチケットは7日間有効でした。

ホテルから5時間もかけてきた割には、個人的にはすごく素晴らしいという感激はあまりなくて、日本の大涌谷でも近くて景観は素晴らしいのではないかな、なんて思った次第です(つまり、日本人には珍しくはなく満喫するほど滞在時間が少なかったということでしょう)

なんとかYosemiteを脱出して帰路につきましたが、あいにくの大雨に会いました。フリーウェイは車のライトの反射で道幅がよく見えなくて、ドキドキしながらのドライブでした。喜山氏は時折眠いのかフラフラする場面もありましたが、水やスナックを食べながらもなんとかホテルにたどり着きました。喜山氏はアメリカの運転もだいぶ慣れてきたようです(果敢にも二度逆走も経験しましたが)。お疲れさまでした。二日間続けて2000キロ踏破です。

夜も11時を過ぎてしまいレストランはどこも閉まっており、近くのストアで夜食を買い部屋で最後の晩餐会をして、帰国の朝も早いので就寝しました・

帰路

朝食もそこそこに6:40にホテルを出て空港に向かいました。ロスではレンタカーを返す場所は、Renta car returnというレーンを走ります。Dollarの返却場所についても車はからっぽで係員に聞いて何度もその周りを行ったり来たりして、やっとHertzの返却場所と一緒だということがわかり、なんとかたどり着きました。ロスの駐車場は、逆走を防止するためにゲートの入り口には逆走車のタイヤをパンクさせる爪がでていますので、ひやひやしながらの返却でした。

次に空港へ行くわけですが、ここで事件がおきます。

空港まで送り届けるバスにのり、JALのカウンターまで行ってくださいと頼み、案内された場所におろされました。そこのカウンターでチェックインしようとしたら、ここは違うといわれ5分くらい離れたJALのあるターミナルのカウンターにいきました。ここでも違うと言われ、7分くらい離れたAAのカウンターのあるターミナルを案内されました。ここが正解でなんとか4人チケットを引き換えできました。

最初に着いたターミナルは国内線専用で運転手が間違えたのが事の発端で、JALとAAの共同運航便だったため、JALのカウンターではなくAAのカウンターにいけばよかったということです。

その間何人もの現地のスタッフ聞きましたがそれぞれのいうことが言うことが違っていたのでした。

小一時間も迷いに迷って国際線のカウンターにたどり着いたのでした。余裕をもってホテルをでたのが正解で、途中の道も渋滞しておりひやひやものでした。なんとかお土産を買う時間もあって、搭乗しました。ロスの国際線と国内線ターミナルは歩くと15分かかります。

私は搭乗入り繰りのチェックで、ポケットに1ドル紙幣が1枚入っていたために、靴を脱いだり全身を検査されたり時間をだいぶ食いました。

帰りの飛行機はAAで、足元が狭く十分に伸ばすことができずまたトイレに行く時も全員立って通路に出なければ窓側の人は出られず、厄介なものでした。食事はまあまあでしたが、行きのJALに比べるとサービスも足元の広さもいまいちでした。

回想

・WIFIをレンタル(¥7700していったので電話以外は日本とのLINE交信も無料でしたので便利でした。
・水の高いのには驚きました(¥800くらい、空港では¥1000超えです)
・ガソリンは1ガロン(4リッター)で¥600くらいでしたので日本と同じくらい
・マックはドリンク付きで¥1800くらい
・物価の高さには驚きましたが、1ドル70円台でアメリカに行った頃に比べると倍ですから、ギターなど高価なものは何も買うことができませんでした
・ロスの空港では大谷のグッズをほとんど売っている店を見かけませんでした
・ガソリンスタンドやストアでのトイレは自由に使えるようになっていました(昔はキーされてました)
・現金は使えないところが多くクレジットもVISAとMASTERが多いです(JCBはあまり使えません)
・アメ車は左右のレバーが一つになり、間違ってウィンカーを出すことが無くなりました
また、ギアーチェンジも丸いロータリーチェンジャーを指で回して、バックにいれます
・全くといっていいほど、ロスでもナッシュビルでもマスクをしている人は見かけませんでした

ナッシュビルの街のような音楽に特化した街にすると赤坂も賑わっていくと思います。
現在2028年目標にTBS周りの赤坂が新しくなる工事が進んでいます。
ちょうどいいタイミングなので赤坂街のライブハウスをグループ化して、日本で最大の音楽の街にしてみたい。
題してABCDプロジェクトのスタートです。
[A=Akasaka B=Broadway C=City D=Development]

最後に

訪問先の奥様達に和服をお土産にされた根上氏、長距離ドライブを完遂した喜山氏、入出国の的確なガイドと気のきいたナビをしてくれた矢島氏、アメリカの情報を日本から適宜発信してくれた村上氏に感謝の意を表します。

2025年10月
戸田健治